一千年の祈り 現世極楽浄土 即成院の歴史 内陣内特別拝観解説 

即成院は「往生要集」を著した比叡山の僧:恵心僧都(源信)によって正暦3年(992)建立された光明院をはじまりとしていますが、現在は京都・東山にある総本山御寺泉涌寺の塔頭(たっちゅう)寺院で真言宗泉涌寺派準別格本山です。

平安時代後期、寛治年中(1089〜1093)に、関白藤原頼通の三男修理大夫《すりだいぶ:「宮中の修理・造営などをつかさどる役所である修理職(すりしき)の長官」》橘俊綱が、伏見の里に広大な山荘をいとなみ、その山荘中に阿弥陀堂を建立し、極楽浄土の世界を築き、寛治初年(1087)に光明院を持仏堂として移築、即ち成就院または伏見寺と称された。

また、俊綱は当時の有名な歌人たちと歌合せ、歌会を催したほどの歌人であり、伏見長者と呼ばれ、当時の風流人としては一世を風靡した人であったといわれています。さて、関白・藤原頼道は道長の長子で宇治殿とも言われた人で、政務には51年も携わったという実力者であり、父の道長より受け継いだ宇治殿(宇治の別荘)を平等院として建立しようとしたのは、末法の世に入るとされた永承7年(1052:末法第1年)です。

そして現在、世界遺産登録されている阿弥陀堂(鳳凰堂)が完成したのは、天喜元年(1053)3月ですので、橘俊綱は平等院が建てられてから34年後に自分の山荘内に、現在の即成院の元となる阿弥陀如来を中心とした二十五菩薩をおまつりする極楽浄土の世界を築きました。以後、即成院はさまざまな変遷をへて、明治時代に現在の地に移り、安住しました。

さて末法の世のはじまりとされた平安時代につくられた即成院の本尊である阿弥陀如来と二十五菩薩は非常に大きな像で、功徳が大きくなることを願った浄土信仰をよくあらわしていると言われていますが、阿弥陀如来に救っていただいて浄土にいくことが、当時の人々の切なる願いでした。臨終に際して阿弥陀如来は二十五菩薩とともに迎えに来て、極楽浄土に導いてくれます。菩薩もみな、極楽往生を喜び、妙なる楽器を奏でています。

即成院のほとけさまはご本尊阿弥陀如来をはじめ二十五菩薩さまの多くは平安時代当初からのほとけさまで、一千年ものあいだ衆生の祈りによって伝えられてきたほとけさまで、いつ国宝に指定をうけてもおかしくないといわれています。現在は、阿弥陀如来をはじめ二十五菩薩さまが揃ってで極楽浄土からの来迎の様子をあらわすものとしては、仏像として、彫刻として、また立体的に現存するもので文化財に指定をうけている唯一のもの(阿弥陀二十五菩薩来迎図多くは軸もので絵画:有名なものには京都知恩院の早来迎などが国宝としてある)で国の重要文化財に指定されています。

即成院の本堂内陣内に身を置くと、圧倒的なほとけさまの存在感を体感し、まさに現在においての極楽浄土をあらわす空間として、即成院が現世極楽浄土と呼ばれていることに共感いただけることと思います。

 

即成院紹介へ戻る