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源義経の家来であった那須与一は、義経の命を受け京に向かう道中、突然の病に倒れました。伏見で療養していた際、与一は、熱心に即成院の阿弥陀さまを信仰したそうです。そして、その霊験で病も癒え、「屋島の戦い」では、平家の船上に掲げた扇の的を見事一発の弓矢にて射抜くという素晴らしい武勲を立てたとされております。
与一はその後、即成院の阿弥陀さまの仏徳を感じ、京都に凱旋して戻り、すぐに出家し、残りの後半の人生を「源平の戦い」で、亡くなった方々の菩提を弔うという人生の選択肢をとり、京の地で平穏に暮らしましたが、最終的には即成院の阿弥陀さまの前で亡くなりました。そしてその後、境内には与一の遺徳を讃え、巨大な石塔のお墓が立てられました。
現在、即成院には、那須与一の功績にあやかろうと、成功を願う多くの人々が、扇に願い事を朱色で筆書きし、「願いが的へ」と、与一の石碑に奉納されます。即成院では皆様から奉納された「願い扇」を、御本尊阿弥陀さまへご祈願の後、那須与一の墓碑にご奉納させて頂き、年に一度の大護摩法要にて、お焚き上げをし、大願成就をお祈りいたしております。

